在宅介護1年が経過して思うこと

はじめに

2018年9月13日。父親のデイサービスでの問題行動、自宅での母親への暴力に悩まされており、在宅に戻って初めての試練を迎えている。先行き不透明な中、在宅介護1年(正確には1.5年)が経った今、あらためて振り返ってみようと思う。このホームページを創設時から子供達は成長し、長女は小学1年生、長男は乳幼児から幼児へとそれぞれ進学・進級した。育児の負担が徐々に軽減されていくのを実感している。しかし、親父の認知症は確実に進行し、介護施設のスタッフや母親の負担は増していく。

ホームページを見返してみると稚拙な内容に赤面してしまう。だが、これはこれで残しておこうと思う。自分が何も考えずに医者の言うこと鵜呑みにした罪を思い出し、簡単にあきらめて親父を施設に入れることのないように。

再発防止を考えてみた

エンジニアに限らず、どのような職種であっても事故や問題が起こるとその原因を速やかに究明し、対策をする。2年前、自由に歩けない母親の文字通り「足」となり、車で近所のAEONへ買い物に、娘の家へ孫を見せに連れて行っていた親父の認知症をここまで悪くした原因は、何度考えても「前立腺肥大手術の強行」に行きつく。手術後、親父はたった2週間で「要介護2」になってしまった。

「お父さん、こんなんになっちゃった?( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」精神病院で血尿が出たため、一時的に退院して前立腺肥大の手術を執刀した医師の診察を受けたときの、医師の初見の言葉だ。ちなみに絵文字はそのときの医師の態度を良く表していると思う。親父はそのとき精神病院で出された薬で深く眠らされていた。

「お父さん、入院中も夜は元気だったけど、昼は同じように寝てたわ!( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」・・・それは、あんたらがREM睡眠障害が出ている親父を無理やり寝かせようとして、睡眠薬を夜中に大量に与えたからだろ(REM睡眠障害は起きてても頭は寝てる状態なので、睡眠薬は効かない)。

‐‐‐検査後‐‐‐

「お父さんの前立腺肥大は完全になおっています。もう私のところに来る必要はありません。お大事に。」

この言葉を聞いたとき、わかったような気がした。この医師が何故、夜間せん妄がバリバリに出ており、親族が集まって手術後の親父の状態(つまり認知症)を心配して手術の中止を訴えているにも関わらず、緊急性もないのに強固に手術を勧めてきたのか。それはつまり、「この仕事を早く終わらせたい」という心理が働いたのではないか。前立腺肥大を治すのに最も確実で手っ取り早いのは手術だ。前立腺肥大が治れば、この患者は自分の手から離れて関係がなくなる。例え認知症が酷くなろうとも、その治療は他でやってくれということだ。もし、手術後の親父の認知症も責任取って診なければならない立場であれば、違った手段を講じたのではなかろうか。

 

‐‐‐再発防止‐‐‐

浅はかな考えかもしれないが、1つの病院での「医療」と「介護」の両立こそが再発防止策だと思う。「今もやってる病院は多いよ」と言われるかもしれないが、明らかにパワーバランスが悪い。介護スタッフから医療方針に口を出すことができる環境とは思えない。また、多くの医者は例え術後に介護が大変になろうが気にしていないだろう。医療と介護の給料格差も問題だ。これが開いている限り、いつまでたっても介護分野の発言は軽んじられ、人手不足は是正されない。


介護分野の待遇改善を心から望みます

2018年9月15日、変装してデイサービスで問題行動を繰り返す親父を見に行く。何度か親父と目が合ったが気が付かない(笑)。12時、親父は昼食を終えると不穏な状態に。問題行動はエスカレートし、手が付けられなくなったので、正体を明かして親父をなだめようとするとスタッフさんに「最後まで見届けて欲しい」と制された。親父が在宅介護に戻る前、有料老人ホームで1日泊まらせてもらったことがあるが、スタッフの皆さんの懸命な姿には毎回感動させられる。

親族を施設にあずけている方は見学しておくべきだ。どれだけスタッフの皆さまが血のつながっていない患者を献身的に介護をしているか。一部の医者のおごり高ぶった診察後よりはるかに純粋な感謝の気持ちが湧いてくる。それは「いつもありがとうございます」と単純な言葉で表すことが軽薄に感じるほどだ。

 

さて、先にも述べたが、介護福祉士の平均年収は320万円ほど。一般の平均年収420万円より低い。総じて医療分野に従事している医者、看護師などに比べて介護分野の給料は格段に低い。介護職に誇りを持つためにも、もう少し給料は上げても良いのではないか。それにしても医者の給料は誇りをもつどころか傲りがでてきそうだ。これほどの格差があると自分達は特別な存在だと勘違いし、傲岸不遜となるのも仕方がないか。

 

さて、何故医療と介護でこのような格差が生まれるのだろう?医療分野の給料の源泉が「健康保険」にあるのに対して介護分野は「介護保険」にあると考え、調べてみた。健康保険の収入は3.7兆円で介護保険は4.1兆円の収入。意外にも介護保険の収入の方が多いようだ。ただし、国庫支出金などを含めると前者の歳入は12.1兆円で後者は8.2兆円。既に破たんしている保険制度に注文をつけても仕方がないが、健康保険に国庫支出金などでこれほど上乗せしているのなら、おなじように上乗せをして介護分野の給料を上げて欲しい。介護は高齢化社会の医療費を下げる役割をになうはずなので、給料を上げて介護分野の従事者を増やすことは全体的に見ると大きな支出増とはならないはずだ。デイサービスがなくなったら、ヘルパーさんがいなくなったら、どれだけの老人が在宅で生活できなくなり病院へ流れるか。

 

 

1日を大事に生きるようになった

結婚して子供が生まれると、生活が徐々にルーチン化されていきます。最初は抗いましたが、いつの間にか惰性で送ることのできる生活に満足してしまいました。この様な怠惰な生活を送る状況で親父が認知症になりました。あたかも親父から大喝を受けたように感じました。

認知症になった親父は今更ながら学歴コンプレックスを拭うかのように算数や漢字ドリルをしています。そんな親父を見ていると、近い将来自分にも訪れる成長の見込めない年齢になる前に、出来るだけ多くのことを学び、自分の生きた痕跡を残そうと思うようになりました。自分も良い仕事ができるのは後10年あるかどうかです。

私の母もデイサービスに行くようになり、2階や3階の生活に移る前に精一杯生きたいと言っていました。デイサービスの2階は車椅子生活、そして3階では寝たきりの利用者さんが生活しています。1階で母親がデイサービスに参加していると、時々2階と3階の利用者さんが下りてくるそうです。この間まで自分と一緒にデイに参加していた方に出会うと、変わり果てた姿に驚くそうです。

今、私達は長久手南クリニックの岩田先生をはじめ、介護分野の皆さまの力によって安心して仕事や育児に励むことができています。良い医療と介護スタッフに恵まれて、本当に幸運だと思います。皆様への恩に報いるためにも手を抜いた生活はできません。この運を生かして悔いのない人生を送りたいと思います。

最期に

ホームページと同時に始めたTwitterを読み返してみると、「男のくせによく泣くなぁ」と恥ずかしくなる。介護とは徐々に壊れていく大事なものを「直そう」とせず、両手で大事に受けている状態だと思う。「あ~こんなに壊れてきちゃった。直さなきゃ」と思った瞬間に自分の無力さを知り、涙を流す。それを何度も繰り返しているということだ。Twitterの2018年5月24日に「故人への思いの再配置」を書いて以来、涙を流していない。親父は故人ではないが、私達は認知症になった親父との関係性を新たに見出すことができつつある。

 

余談だが、NHKの取材を受けた時は舞い上がってしまった。認知症になってしまったが、両親にとって取材というイベントを乗り越えることが将来(特に母親の)思い出になると期待したものであった。先に書いた思いもあり、出来るだけの協力をしたが私達が紹介された時間は2分と短く、放送を見終わったときは疲労感だけが残りました。