在宅介護

 

2017年2月4日(土)

親父を有料老人ホームから母親の待つ自宅へ連れて帰る。ここで、老人ホームで投与されていた向精神薬を整理しておく。

1. 抑肝散5g,朝・夕:漢方薬。抑制系薬剤でピックに効く。幻視を抑える。
2. コントミン12.5mg,夕 :抑制系薬剤でピックに効く
3. ジアゼパム2mg,夕0.5:抗不安薬。筋弛緩作用もある。けいれんが出ていたため。
4. セレネース0.75mg,朝0.5・夕0.5:抑制系薬剤で妄想を抑える。
5. ロゼレム8mg,就寝前:眠剤として使用
6. ニトラゼパム5mg,就寝前:眠剤として使用
7. リボトリール0.5mg,就寝前:眠剤として使用
8. クエチアピン12.5mg,就寝前:眠剤として使用
9. リスペリドン0.5mg,就寝前:眠剤として使用
10.米ぬか脳活性食(フェルガード)のガーデンアンゼリカ小2錠、朝・夕:サプリメント。ピックやレビーに効く
11.プロルベインDR(みみずサプリメント)2粒、朝・夕:サプリメント。脳血管性認知症に効く

河野メソッドに批判的な人は患者にサプリメントを勧めることを挙げる人が多い。医療保険が効かないため、患者に金銭的な負担を強いるためだ。個人的な意見だが、介護者にとって周辺症状がおさまるなら藁にもすがりたい気持ちなので、サプリメントだろうが医薬品だろうが可能性があるものは全て教えて欲しい。効果があるかどうかが重要で、効果が無いと感じれば服用を止めればよい。実際、親父はフェルガードが合わないことがわかったため、飲むのを止めさせた。

親父は昼を過ぎると落ち着きがなくなり、外へ出て私が乗ってきた車の扉を開けようとガチャガチャしては何か文句を言いに家へ戻ってくることを1時間以上繰り返した。ようやく諦めたかと思うと、家の中では幻視が激しく出て、ガラスのネックレスを飴と誤認してバリバリ食べ始めた。さらに、絨毯やテーブルカバーの模様を蛇やムカデなどに誤認した。夕方を過ぎると、さらにイライラしはじめて私たちに何か文句を言い出した。

日常生活は全て介護が必要な状況だった。トイレは自分の意思で行くが、漏らしてしまうために介護が必要。着替えはズボンを服に、服をズボンにと間違えるので、こちらも介護が必要。ベッドに寝かせるのも一苦労で、自分からは寝転がろうとしないため介護をするが抵抗される始末。ともかく指示が上手く入らないのが致命的に介護を難しくしている。初日はこれらの介護は全て私がやったが、母親と2人で生活をするとなると、小児麻痺と骨折で両足が不自由な母親がやらなければならない。正直、このままでは無理だ。

2017年2月5日(日)

眠剤が多く入っているためか、親父は8時に就寝し、朝7時までぐっすり寝てくれた。これなら母親も休めるのでいけるかも・・・と期待したが、その考えは甘かった。親父の起床直後の足元はフラフラで、倒れるようにダイニングへ入ってきたが、そのときの顔がむくんでパンパンになっていた。寝間着の股間辺りが濡れて嫌な臭いがしたのでベッドを調べてみると、布団が大量の尿でビタビタになっていた。寝る前に履かせたオムツの限度を超えた量をしたのだ。妻が足のむくみは薬による口渇のせいだと話していたことを思い出した。つまり、大量の薬を飲むため口が乾き、水分を多くとって就寝する。就寝中にもよおすのだが、眠剤が入っているため起きることはなく、オネショをしてしまうが、摂取した水分が抜け切れずにムクミとなる。薬の副作用で足もフラフラな事を考えると、薬を減らすしかない。 以下のように薬を減らすことに決めた。

朝…セレネース中止。妄想は少なく、出たとしても対処できると判断した。
昼…そのまま
夕…コントミンを半錠にする。就寝前の眠剤で良く眠れていたことに加え、起床時の足のもたつきを抑えるため。
就寝前…リスペリドンを中止。岩田先生からの指示が出た。

この日から「経過支援記録」を取るようにした。経過支援記録とは、何時に何をしたかを記録するノートである。例えば、7時に起床し、トイレ介護ありといった行動内容を書く。目的は以下のとおり。

1. 母親に薬を憶えてもらう。名前ではなく、朝、昼、夕、就寝前にどのような効果をもたらす薬を親父に
  投与しているかをまずは憶えてもらい、最終的には母親の判断で薬の調整ができるようになってもらうため。
2. 薬を調整した効果がどのように出たかを知るため。薬を減らしても完全に体から抜けきるのには2週間を
  要するため、その効果を見定めるには日々の記録を付けて見返すしかない。
3. 周辺症状の回復具合を知るため。周辺症状は環境因子の影響を強く受ける。
  従ってしばらく自宅で生活を続けると周辺症状は取れてくるはず。
  その回復具合を知るためには、周辺症状の記録が必要となる。
4. 介護者である母親と、私たち親族との連絡帳の役割を果たす。
  私たちも頻回に母親と電話連絡を取るようにするが、中々電話だけでは親父の状況をつかみきれない。
5. 親父との思い出を作って欲しい願いから。認知症は進行性の病気であり、
  いつかは母親と親父は一緒に住めなくなる。
  親父が施設に入居し、そして終末を迎えたときに母親がこれを見返して自分を慰める時がくるだろう。

伯父が昼過ぎに来てくれた。明日から親父の介護を頼むことになる。

 

2017年2月6日(月)

伯父夫婦の意見もあり、さらに向精神薬のコントミンとセレネースを止めることにする。1週間しか猶予がないため、荒療治的ではあるが、薬をなくした状態でどの程度親父に指示が入るようになるか確認したかった。もう一度薬の整理しておくと、

1. 抑肝散5g,朝・夕:漢方薬。抑制系薬剤でピックに効く。幻視を抑える。
2. コントミン12.5mg,夕。抑制系薬剤でピックに効く
3. ジアゼパム2mg,夕0.5:抗不安薬。筋弛緩作用もある。けいれんが出ていたため。
4. セレネース0.75mg,朝0.5・夕0.5:抑制系薬剤で妄想を抑える。
5. ロゼレム8mg,就寝前:眠剤として使用
6. ニトラゼパム5mg,就寝前:眠剤として使用
7. リボトリール0.5mg,就寝前:眠剤として使用
8. クエチアピン12.5mg,就寝前:眠剤として使用
9. リスペリドン0.5mg,就寝前:眠剤として使用
10.米ぬか脳活性食(フェルガード)のガーデンアンゼリカ小2錠、朝・夕:サプリメント。ピックやレビーに効く
11.プロルベインDR(みみずサプリメント)2粒、朝・夕:サプリメント。脳血管性認知症に効く

2017年2月11日(土)

伯父と介護の交代をする。経過支援記録を見返すと、親父が1日を過ごすパターンが見えてきた。

7:00 起床(オネショ、布団や服がビタビタ)
7:30 朝食後、徘徊(30分から1時間程度)
10:00 昼寝(30分から1時間程度)
12:00 昼食後、徘徊(30分から1時間程度)
15:00 大便(介護要)
16:00 不穏状態。不機嫌になり、家中をウロウロ歩き回り、怒鳴り散らす。
18:00 夕食後、不穏状態。新聞紙など手当たり次第に足に巻き付ける作業をする。
19:00 着替え(2重のオムツ、介護要。指示が伝わらないため抵抗され、大変)
20:00 就寝(介護要。ベッドまでの誘導が大変。指示が伝わらないため抵抗される)
00:00 トイレに起きる(トイレの場所がわからない、足がクタクタで介護が大変)
02:00 トイレに起きる(介護要)
03:00 トイレに起きる(介護要)
05:00 トイレに起きる(介護要)

また、薬を減らしたおかげで以下の改善効果が見られた。
1. 朝の覚醒が良くなり、食事が介護なしで取れるようになった。
2. 昼間のトイレは見守りでできることが増えた。
3. ムクミが完全に引いた。
4. 昼間の歩行が健全となった。

当時の経過支援記録を読み直すと、大変な状況であったことが良くわかる。伯父さん、助けてくれて本当にありがとうございました。

2017年2月12日(日)

6:00 雪がパラツク中を散歩に出かける。後ろからついていく。
7:00 帰宅。自分で迷わずに帰ってこれた。
12:00 再び散歩に出かける。大通りの車を何度も止めようとして道路に飛び出しそうになる。
14:00 帰宅。少し誘導が必要であったが、大きく迷わずに帰ることができた。
17:00 明日から母親一人での介護となるが、両足の不自由な母親では徘徊についていくことが出来ない。
    そこで、玄関に外カギをつけた。勝手口もあるが、そちらは内カギで対応できると考えた。
    後日、この判断は甘いことを知らされる。

 

母親一人での在宅介護に備え、ヘルパーやデイサービスなどの介護サービスを取り入れなければならない。そこで、親父の1日の行動パターンから介護プランを考えてみた。親父は朝の散歩が必須だったので、毎朝ヘルパーさんを入れた。また、昼間は比較的落ち着いていたので隙間時間をそこに充てている。1日中デイサービスに行かせるのはもたない(暴力など迷惑行為が出る)と判断し、半日のデイサービスから始める計画を立てた。慣れてきたら1日のデイサービスやショートステイも試す腹積もりである。ところが、この半日デイサービスのハードルが高かったらしく、中々ケアマネージャのA氏から受け入れ施設の連絡が来ない。この遅れが後々、母親を追い詰めることになる。

 

2017年2月13日(月)

母親一人での介護が始まったが、玄関に外カギを付けたことが親父を不穏にさせてしまう。再び周辺症状がひどくなり、母親にとって地獄のような毎日が続く。
● 洗面所で放尿してしまう。
● 玄関で放尿してしまう。
● 習慣にしていた散歩(徘徊)に出ようとするが、外カギがかかっているため出られない。
  出られないことに腹を立て、玄関で1時間以上ガチャガチャとノブを回す。
  土足のまま家の中を歩き回り、母親を怒鳴り散らす。
● デイサービスに母親と2人で行くが、ずっと不機嫌。早く帰ろうとし、スタッフがなだめるのに苦労する。
● 夜の尿が多いため、オムツを2枚重ねにするが、夜は指示が入り難くはかせるのに大変。

このような状況の中、母親から仕事中にSOSの連絡が入る。親父が(軽くではあるが)母親に暴力をふるい、恐怖を感じたようだ。親父の様子を聞くと、妄想はしていないようだったので、コントミンを1錠与えるように指示を出した。飲ませると直ぐに落ち着いた。コントミンは親父に効くことに気が付くきっかけとなった。

2017年2月14日(火)

昨日と同様に周辺症状がひどく、母親からSOSの電話が入る。状態を聞き、コントミンを朝と夕に0.5錠ずつ与えることにした。朝にコントミンを1錠与えると、副作用で足のもたつきが酷くなり、母親が介護できなくなる。また夕食後に1錠与えると、翌日の昼頃にコントミンの効果はなくなり、周辺症状が出てしまう。これらを考えた末の朝・夕のコントミン0.5錠である。会社帰りに車を走らせ、0.5錠のコントミンを作りに両親の自宅へ行った。包丁で薬を半分に切るのである。このように、親父のこれまでの経過観察を基に理屈をつけて薬の調整をしていくのが家庭内天秤法だ。

1. 抑肝散5g,朝・夕:漢方薬。抑制系薬剤でピックに効く。幻視を抑える。
2. コントミン12.5mg,朝0.5・夕0.5。抑制系薬剤でピックに効く
3. ジアゼパム2mg,夕0.5:抗不安薬。筋弛緩作用もある。けいれんが出ていたため。
4. セレネース0.75mg,朝0.5・夕0.5:抑制系薬剤で妄想を抑える。
5. ロゼレム8mg,就寝前:眠剤として使用
6. ニトラゼパム5mg,就寝前:眠剤として使用
7. リボトリール0.5mg,就寝前:眠剤として使用
8. クエチアピン12.5mg,就寝前:眠剤として使用
9. リスペリドン0.5mg,就寝前:眠剤として使用
10.米ぬか脳活性食(フェルガード)のガーデンアンゼリカ小2錠、朝・夕:サプリメント。ピックやレビーに効く
11.プロルベインDR(みみずサプリメント)2粒、朝・夕:サプリメント。脳血管性認知症に効く

2017年2月15日(水)

岩田先生の往診日。私一人で有料老人ホームへ行き、自宅での状況を説明する。セレネースを止めたこと、コントミンを朝・夕0.5錠ずつに変更したことなどは合理的な判断だと言ってもらえ、ホッとした。親父の周辺症状が徐々に取れてきており、私達も薬の調整ができるようになっていることから岩田先生は手ごたえを感じたらしく、「よく頑張りました」とねぎらいの言葉をくれた。だが、私自身はまだ油断できないと感じていた。

2017年2月16日(木)

デイサービスから帰宅後、勝手口のカギを開けて徘徊に出てしまう。母親は徘徊を止めることができず、自宅で帰りを待つが、中々戻ってこないことにパニックになり電話を私にかけてくる。電話を終えた直後、お世話になっているデイサービスの送迎バスが親父を偶然にも見つけ、連れて帰ってきてくれる。やはり勝手口にカギを付けなければならないようだ。

2017年2月19日(日)

再び勝手口から徘徊に出てしまう。近所の人の通報で居場所がわかり、連れて帰ってきてもらう。側溝に片足を落とした状態で見つかり、膝を怪我していた。母親がかなりパニックになり、私と妹を呼び出す。近所の人から自宅で見るのは無理だから(周りに迷惑がかかるから)、早く施設に入れるように促されたそうだ。どうして良いかわからないから、妹と2人で決めて欲しいと言われた。とりあえず、勝手口にカギを付け、親父が絶対に徘徊に出られないように対処はしたが、母親一人で介護するには周辺症状が未だにひどく、母親が休む暇がない。母親のレスパイト目的で、親父1人で行くデイサービスを一刻も早く介護プランに入れなければ・・・。ケアマネージャのA氏からは未だ半日デイサービスを受け入れてくれる施設の連絡はない。


妹と母親は、親父が家の中を落ち着きなくウロウロ歩き回り、手あたり次第に物を散らかすのをヒステリックに止めていた。トイレや着替えにも指示を出し、正しいやり方をさせようとしていた。私はそれを見るたび、2人に「危険なことをしないように見守っていれば良い」と穏やかに言い聞かせていたが、妹と母親の「教えれば認知症がなおるかもしれないから」という発言に、

「認知症は治らない!」

と声を荒げてしまった。未だに認知症が治り、元の親父に戻ることに希望を抱いている2人に腹が立った。

「早く認知症の親父を受け入れてくれ!」

とも言った。「受け入れる」とは「諦める」とは全く違う。言葉にするのは難しいが、一生治らない障害を持った人や、障害を持った子供を持つ親の気持ちに近いと思う。一体、いつから自分は認知症の親父を受け入れることができたのだろう?親父の迷惑行為に対して「怒り、いら立ち」ではなく、「悲しい気持ち」が自然に出るようになったときからだとすれば、有料老人ホームへ何度も親父を見舞い、一緒に手をつないで何度も散歩へ出かけたときだ。もう親父の説教を聞くことはできないとわかったときだ。


母親と妹は在宅介護を諦めて施設に入れる考えに傾いていたが、自分は反対した。親父を施設に戻すということは、薬漬けにすることを意味する。精神病院に入院した時の親父の様子を母親は知らないのだ。未だやれるだけのことをやっていない。親父が1人でデイサービスに行く手配が整えば、母親の負担が減り、事態は好転する。周辺症状も徐々に良くなる。施設に入れるときは「精一杯やったけど、お父さんごめんね・・・」と母親は涙を流して親父に伝えなければならない。自分にはそこまで追い込まれてはいないと感じていた。

結局、後1週間頑張ってみるということになったが、別れ際の母親は認知症の親父との生活を諦めているように見えた。早くデイサービスの手配をしなければ。

2017年2月20日(月)

ケアマネージャのA氏に半日ではなく、丸一日のデイサービスで良いから早く手配して欲しいことを伝える。親父が一人でデイサービスに行くこと自体が賭けであり、丸一日となればなおさらであるが、このままでは母親が潰れてしまう。

夕方、母親から電話があった。ここ最近では珍しく、声が若干弾んでいる。話を聞くと、今日2人でデイサービスに行き、カラオケをしたそうだ。恥ずかしがりやの親父は人前で歌えるはずもなく、これまで通り不機嫌に施設内をウロウロしてスタッフを困らせるだけだと憂鬱な気分でいると、施設長に誘導されて「矢切の渡し」を気分よく熱唱したそうだ。認知症になる前でも見せたことのなかった姿に、母親は親父の歌声を聞きながら涙が一杯になり、前が見えなくなったらしい。電話越しに母親がまた泣き始めたので、「これが介護の醍醐味なんじゃないの。」と伝えた。この後、母親に送ったメールが自分の気持ちをよくあらわしていると思うので、載せておく。

「今日は嬉しい話を聞かせてくれてありがとう。おかんの話を聞いていて、俺も涙が出てきたよ。介護をしていると苦しい事が多いだろう。でも、介護を放棄したら、こんなにも感動するような場面に出くわすだろうか?認知症になった親父のことも変わらず愛おしく思っている。」

ケアマネージャのA氏からデイサービスの受け入れ施設が見つかったとの連絡が入った。一週間全てに朝のヘルパーと1日デイサービスを入れると、介護保険の限度額を超えてしまうが、母親のレスパイトが優先だ。後日、有料老人ホームの施設長からケアマネージャのA氏が相当に苦労をしてデイサービスの受け入れ施設を探してくれたことを聞かされる。本当にギリギリの所であった。

2017年2月25日(土)

親父が一人でデイサービスに行くようになり、母親の余裕も出てきたので、久しぶりに下の子の誕生日祝いも兼ねて旅行へ出かけることにした。1つの試練を乗り越えることができた達成感に加えて、小春日和の中、海を眼下に見ながらのドライブは爽快だった。親父の心配をせずに家族と過ごせることへの幸せを感じ、忘れていた平凡な日常の有り難さを思い出させてくれた。

この後、親父の状態は日に日に良くなっていく。玄関のカギをガチャガチャと開けようとする行為はなくなり、今では扉を開けていても、徘徊には出かけないようになった。オネショも無くなり、就寝前のオムツも必要がなくなった。不機嫌な時間帯もほぼ無くなり、母親を思いやる言葉「ごはん食べたか?」「危ないから気を付けて歩けよ」などが出るようになった。有料老人ホームから正式に退居し、社長を除く全てのスタッフと岩田先生でさえもが「母親だけでは在宅介護は無理」という判断を覆すことができたことに誇りを感じた。

-最後に(2017年5月23日(月))-

10月に親父が前立腺肥大で入院し、未だ半年ほどしか経っていないのですが、2~3年も前のように感じます。ここまで両親の生活を元に戻すことができたのは、岩田先生、ケアマネージャのAさん、有料老人ホームのスタッフの皆さま、在宅医療・介護連携支援センターのYさん、そして現在通っているデイサービスのスタッフの皆さま、ヘルパーさんなどの助けがあったからこそ。また、医療・介護・施設の連携に加えて、親族間で密な連携を取れたことも心強く感じました。私や妹が尽力するのは当然ですが、伯父、伯母、妹婿、そして妻には巻き込んでしまったことに対する申し訳ない気持ちと、暖かい無償の支援をいただいたことに対する感謝の気持ちで一杯です。