有料老人ホームへ

2016年11月30日(水)

伯父と共に在宅医療・介護連携支援センターのYさんを訪ねた。改めて状況を説明すると、今の親父の状態でも受け入れてくれる有料老人ホームを紹介をしてくれた。そこでは河野メソッドを実践する長久手南クリニックの岩田先生の2回/月の往診がある。河野メソッドについては伯母が勧めてくれた本で知っていた。有料老人ホームはお金がかかるが、これで駄目なら諦めがつく。

余談だが、妻が職場である老健へのショートステイを提案してくれたが、妻への負担を考えて辞めた。妻は一見強そうに見えるが、義理の父をコネで老健へ入れることに加えて、親父が問題行動を起こしてミーティングテーマに挙がるのは相当なストレスになるはずだ。

 

すぐに紹介された有料老人ホームへ向かった。有料老人ホームの社長はとてもバイタリティーのあるお婆さん(失礼?)で、年齢は75才で親父と同じ年。このくそ寒い時期にも玄関先で漬物やジャムなどを大量に作り、利用者さんへ振る舞っている。親父を見舞いに行くたびに色々とお土産をもらったが、梅ジャムが絶品で2才の子供が喜んでバクバク食べた。他には大根のソーダ漬けもうまかった。また、喫茶店を経営していたこともあるらしい。看護師をやりながら喫茶店経営、そして複数の有料老人ホームの開設と人生の成功術を教えてもらいたいほどだ。
社長に事情を話すと、これまでにも精神病院で廃人と化した患者を何人も受け入れてきたそうだ。親父が入院した精神病院は強い薬を処方することで有名らしい。困った人は出来るだけ助けるのが社長の考え方で、中には発狂して2階から飛び降りてしまった程ひどい状態の利用者も居たようだ。
事態は急を要するので、早速、12月3日(土)に退院させることになった。

2016年12月3日(土)

親父を精神病院から退院させる。精神病院のスタッフが車椅子から親父を立たせるパフォーマンスがあったが、足はフラフラだ。昼近くだったので覚醒しており、老人ホームへ向かう車の中で社長と良くしゃべったようだ(後から内容を聞くと支離滅裂だったが)。親父を老人ホームへ預けてこの日は帰った。社長から絶対に在宅介護できるようになると強く言われた。この後、何度もダメか・・・と諦めかける時があるが、社長の自信だけは何故か揺らぐことはなかった。

早速、長久手南クリニックの岩田先生へ老人ホームから連絡が行き、精神病院から処方された向精神薬を全て止めるように指示が出た。12月9日(金)に長久手南クリニックで診察を受けることになった。

2016年12月9日(金)

私が長久手南クリニックに着いた時は頭のCTを撮影している最中であった。「前立腺肥大で入院」でも説明したが、MRIを認知症患者に使うことは難しいので、認知症の種類を判定するのに必要な断面だけをCTで数枚撮影する合理的な方法だ。

約1週間ぶりに親父と会ったが、まず顔つきの違いに驚いた。精神病院を退院したときの親父は目が半開きであり無表情に近かったが、今はしっかりと覚醒しており、表情豊かであった。足取りは少しふらつくが車椅子に乗るほどではなく、スタッフが腕を組んで誘導できる状態。意思の疎通も取れつつある。精神病院で処方された薬を抜いた効果と、有料老人ホームでの毎日の散歩による筋力回復の効果が如実に表れていた。ただ、落ち着きが無く、CTから診察までの3時間を待たせるのに苦労した。

診察とCTの結果により親父の認知症の種類が確定した。診断名は「レビー・ピック複合/脳血管性認知症」であった。認知症の種類は大きく分けて4つある。おさらいしておくと、

1. 前頭側頭型認知症(ピック病)、症状:無礼な振る舞い(悪ガキ化)、脳の前頭葉と側頭葉の萎縮
2. レビー小体型認知症、症状:認知機能低下、幻視、歩行障害、薬が効きすぎる、症状に波がある
3. 脳血管性認知症、症状:脳細胞の石灰化、レビー小体型認知症と併発すると陽性症状が悪化する
4. アルツハイマー型認知症、症状:脳の萎縮、記憶障害

つまり、親父はアルツハイマー以外の全てを併発していることになる。その根拠を1つ1つ見ていくと、1.のピック病はCT画像から脳の前頭葉と側頭葉の萎縮が若干見られることと、粗暴な言動などから。2.のレビーは幻視と歩行障害、そして3.の脳血管性認知症はCT画像に所々白い斑点(石灰化)が見られることから。アルツハイマーは脳の萎縮がほとんど見られないため外れた。下の写真は親父の脳のCTスキャン画像だが、素人目にも脳の萎縮はほとんど無いことがわかる。CTを数枚撮っただけで何と多くの情報が得られるものだ。何故これまでの精神科医は頑なにMRIにこだわり、CTを撮らなかったのだろう?岩田先生は認知症の専門医となる前は脳神経外科であり、脳のCTを見るのは得意だと言っていた。と、いうことは精神科医は脳のCTを見るのは苦手で、だからあえて撮らないのかと勘ぐってしまう。

 

また、精神病院で処方された薬のアリセプトはピック病を伴う親父には禁忌であること、抑制系の薬エビリファイも統合失調症の患者に処方する薬であるから止めたこと、そして親父の認知症の種類が分かった今、それぞれに有効な薬が河野メソッドでは決まっているので、それを投薬する説明を受けた。

あまりに精神病院での治療方法と違っていたので、精神病院では身体拘束と面会謝絶が治療の一環である説明を受けたことを改めて話すと、「それは比較的若い統合失調症の患者に行う治療方法です。認知症の患者に同じことをすると認知症は進行し、悪化します」と断言された。伯父夫婦が主張していた通りの回答であった。精神病院で1か月様子を見ると自分が判断したのは間違っていた。

岩田先生からは「ほとんどの認知症患者が同じ道を通ります。それ程認知症に対する日本の医療レベルは低いのです」と言われて少し救われたが、妹夫婦の家に預けたこと、救急車を呼んで精神病院へ入れたこと、精神病院へ1ヵ月間も入院させたこと、そしてもっと言えば前立腺肥大の手術を認知症の症状が強く出ているにもかかわらず強行してしまったこと、それら全てが自分の判断ミスであることに変わりない。もう失敗はできない。岩田先生を信頼して治療をお任せするためにも認知症について勉強しなければ。

2016年12月10日(土)

有料老人ホームの施設長から「ケアマネージャの力量が介護に大きな影響を与えるので信頼できる人に頼んだ方が良い」と言われ、A氏を紹介していただいた。A氏に両親を任せることができたのは幸運であった。認知症に対する知識についてもそうだが、提案力と行動力が以前のケアマネージャとは段違いである。これでようやく「医師(岩田先生)」ー「有料老人ホーム」ー「ケアマネージャ(A氏)」ー「親族」の連携が取れる体制が整った。

 

親父の症状は、精神病院への入院によって明らかに悪化しているため、区分変更の申請をお願いした。後日、要介護2から要介護5への変更がなされた。妻によると、寝たきりの状態にならないと付かない程の介護等級だ。それほど認知症の周辺症状が酷く出ていた。

 

2016年12月15日(木)

岩田先生の往診があり、今後の治療方針の説明があった。

1. 精神病院で処方された向精神薬の影響は2週間ぐらいで完全に切れる。
  今は薬が切れた状態で認知機能は随分回復しているようだが、
  元気が良すぎるので抑制系の向精神薬を増やす。
  増やすといっても70才以上に与える上限の1/4程度なので誤嚥などの嚥下障害の心配はない。

2. 薬の決め方は一度に多く与えて、そこから徐々に減らしていく方法と、
  その逆に薬を徐々に増やしていく方法がある。
  在宅介護を目指すのであれば後者の方が自宅に帰ってからの母親の負担が少ない。

3. 薬の適量は環境によって変わる。
  デイサービスやショートステイをするためには少し多めの薬が必要だが、
  自宅では薬が必要なくなるかもしれない。

4. 必ず薬の落としどころは見つかる。

4.の言葉は希望を与えてくれたが、実際は甘くないことを知らされることになる。

2016年12月17日(土)

親父の見舞いに有料老人ホームへ行く。看護師から現状を聞かされる。
1. 寝ない(睡眠障害)
2. 落ち着かない。椅子に座っていられない。
3. 問題行動(暴力、噛みつき、脱走)
4. 幻覚(蛇を見る、サルを見る)
5. 妄想(地震や台風で家族が死んでしまったといって泣きながらお経を唱える)

覚醒している10時~14時は調子が良いのだが、これらの周辺症状は夕方や夜間に出やすいようだ。有料老人ホームの皆さまには多くの辛抱をしてもらっているかわかった。当然申し訳ないとも思ったが、ここまで心配をかけまいと、私たち家族に黙ってくれていたプロ根性を感じた。親父、何とか落ち着いてくれ。

2016年12月18日(日)

伯父夫婦が見舞いに来てくれた。伯母から電話で、親父の足のムクミが酷いので内臓などに疾患がないか検査するよう勧められた。後日、老人ホームの看護師からどうしても人手が足りないときに椅子へ縛り付けることがあり、それがムクミの原因だろうと説明を受けた。縛るといっても一時的なもので、本当に良く辛抱してもらっていた。妻によると、向精神薬の副作用で口渇が起こり、水分を多く取ったこともムクミの原因として考えられるそうだ。利尿剤を新たに処方してもらうことにした。

2016年12月21日(水)

リハビリ入院中の母親に外出許可が出たので、妹家族が母親を連れて親父の見舞いに行ってくれた。母親は親父と約2か月ぶりの再会である。妹の話によると、別人のようになってしまった親父に驚き、「お父さん、こんなことになってごめんなさい!」と泣きながら親父に抱き着いたそうだ。親父は母親を認知できていたのだろうか?母親の体に腕を回したそうだ。

2016年12月22日(木)

2016年最後の往診日。落ち着かないため、薬を増やす。いったいどこまで増やせば落ち着いてくれるのだろう?

2017年1月1日(日)

年が明けた。母親のリハビリ入院が終わりに近づいてきたため、母親の外泊を試みる。目的は母親に日常生活を送る自信をもってもらうためだ。これまでの様に買い出しなどで親父を頼ることはできないため、ヘルパーを利用しなければ生活が送れない。ヘルパーの助けが必要になる項目を母親と生活しながら洗い出す作業を行った。まずは母親に自宅へ戻ってもらい、デイサービスやヘルパーの利用に慣れてもらう。余裕が出てきたら親父を戻す計画だ

母親と2人で生活を送るのは人生初めてのことだ。食事しながらする会話は、私の家族の近況がほとんど。子供2人は元気か、かみさんとの夫婦関係は良好か?仕事は順調か?などなど正直、私たちの心配よりも自分達の心配をしろよと思ったが、これが親というものなのだろう。

親父の話題になると、相変わらずビービー泣きながら、何とか助けてあげてと懇願してきた。こっちは精神病院での身体拘束や有料老人ホームでの問題行動で神経をすり減らし、その上、親父と母親が元のとおり自宅で生活が送れるように計画を立てるのに必死で泣く暇なんてなかった。この間、いつでも感傷に浸ることができたおかんがうらやましいよ。そんな思いで会話を続けていると、母親の口から妹の親父へ対する思いが語られた。妹に何があったか知らないが悪天候の中、1人で知らない場所に取り残されたことがあったらしい。猛烈な風雨で身動きが取れず、途方に暮れていた所に親父がスーッと車で現れたそうだ。今でも、どうやってあの場所がわかったのか見当もつかないらしい。妹はあの時の恩は忘れることができない、必ず親父を救って恩を返したいと涙ながらに母親に語ったそうだ。・・・親父が暴風雨の中を必死に妹を探す姿が想像され、涙が出た。妹は普段、親父と会話など全くしないヤツだったが、親父の愛情はしっかりと感じていたようだ。母親のおかげでしんみりと感傷に浸ることができた。

2017年1月5日(木)

岩田先生の往診日。母親の退院が近づいており、親父を自宅に帰すタイミングについて相談する。親父が落ち着いていないため、今のタイミングで在宅介護を決行すると母親が潰れてしまう。少なくとも老人ホームからデイサービスに行けるようになってから自宅へ戻す結論に至った。しかし、この時既に老人ホームのスタッフの我慢は限界に近かったようだ。

2017年1月19日(木)

再び往診日。仕事でどうしても参加することができず、伯父夫婦と妹夫婦、そして母親に老人ホームで往診を受けてもらった。皆が岩田先生の診察結果に聞き入る中、突然、看護師から空気を変える一言が発せられた。
「お母さんが退院したら、すぐに退居してください。息子さんからは、最初そういう約束で引き受けました。退居ですので、もう戻ってくることはかないません。」
と最後通告がなされた。びっくりした妹たちは私に確認の電話をしてきた。私は看護師とは何度も老人ホームで会っており、親父の様子や対応などを聞いて大きな信頼を置いていたので裏切られた感じがしたが、どうやら現場が悲鳴を上げ、代表してこの発言に至ったらしい。親父は深夜、ある女性スタッフを鼻血が出るまで殴ったそうだ。

緊迫した雰囲気が電話ごしからも伝わってきた。その場は岩田先生が薬の量を一気に増やして、減らしながら適量を探す治療方法に切り替える判断をされ、何とか収まった。当然、誤嚥のリスクが出るので伯母は反対をしてくれたが、他に方法が無いため仕方がない。

私は老人ホームで何が起こっているのか知る必要を感じ、施設長にお願いして老人ホームに泊まる了解を得た。1月27日(金)に老人ホームに泊まり、親父の調子が良ければ自宅に帰す判断をする。ただし、自宅に帰してから在宅介護できなくなったときに受け皿が必要となるので、外泊扱いにしてもらった。よくこんな条件を施設長は引き受けてくれたと思う。新しい入居希望者を親父の籍を残すために断ってくれていたのだから。

2017年1月21日(土)

母親が退院する。ケアマネージャのA氏と自宅で待ち合わせ、母親の介護サービスのプランを立てた。母親は両足が不自由だが、要支援2なのであまり多くのサービスは使えない。週2回のデイサービスを使って骨折した足のリハビリと、ヘルパーさんには買い出しと掃除を週2回お願いすることにした。

親父が帰ってくるまでに母親は介護サービスを使った生活に慣れなければならない。この日は1泊して母親の様子を見たが、1人でなら日常生活は問題なくできることが確認できた。

2017年1月27日(金)

仕事を終えた後、老人ホームに泊まりに行く。親父は薬が増えたせいか指示が入りにくくなっていた。落ち着いて座ってくれていることもあったが、食事や歯磨きにはスタッフの介護が必要であった。10時頃に就寝したが、12時頃むくりとベッドから起き上がろうとした。だが、就寝前の眠剤が多く入っているため、モゾモゾ動きながらブツブツと「子ザルがおる、子ザルがそこに」と半開きの目で話す。こちらが「サルなんて居るわけないだろ?」と言うと「そこに居る」と返してくる。落ち着いているので「Rem睡眠障害」が出ていたのだろう。しばらくすると寝るが、2時間ほど経つとまた起きるのを繰り返した。朝7時ごろに起床したが、足が酷くふらついていた。両足が不自由な母親一人で介護するのは社長を除く有料老人ホームのスタッフ全てが不可能と言っていたとおり、自分も難しいと感じた。だが、周辺症状は環境因子の影響を強く受けるので、親父が自宅を自分の家として認識できれば改善するはずだ。それに賭けることに決めた。

これは余談かもわからないが、有料老人ホームに泊まってスタッフの仕事ぶりに感心させられた。食事、歯磨き、トイレの介護、与薬・・・ここには介護や薬の必要ない利用者など居ない。そして親父ほどではないが、問題行動を起こす利用者も居た。特に夜勤のスタッフは一人で施設の利用者のほぼ全員を面倒見なければならない。いくら仕事といっても、他人の世話など中々できるものではない。母親は親父の介護を甘く考えているとするなら大変なことになる・・・。

2017年1月30日(月)

親父を自宅に帰す前に認知症の勉強をしておこうと思い、岩田先生の著書を購入した。タイトルは「認知症になったら真っ先に読む本」だ。認知症について初心者でも非常に分かりやすく書かれている。親父の症状と関係のあるページに付箋を貼り、重要な文はカラーペンでマーキングした。これまでに体験済みのことが多かったため、納得しながら読み進めることができた。

特に日本の認知症に対する医療レベルが低いことについて読んだときは少なからず高揚した。自分が「医者を信用したこと自体が判断ミス」として自分を責めることでしかやり場を持って行きようがなかった怒りがそのまま表現されていたからだ。医者の仕事にルーチンワークなどない。少なくとも、患者の一人ひとりが自分に最も適した医療の提供を望んでいる。ルーチンワークに当てはめると大きな失敗はしないし、考える必要もなくなるので、向上心の無い人間はルーチンワークをやりたがる。医者がそれをした結果、どんなに夜間せん妄が激しく出ていても継続入院、手術。認知症の種類を検査もせずにアルツハイマー型。そして決まった薬「アリセプト」の投薬・・・。傲慢を言わせてもらうなら、もっと考えて欲しい。一人ひとりの患者にとって最適な治療方法とは何かを。


本の中身を親父の症状に関係する所だけ抜粋して整理し、下のような表を作った。常に持ち歩くようにし、在宅介護中の母親から親父の問題行動についてSOSの電話が入るたびに表を見直した。時には、会社帰りに薬の量を調整しに両親の家へ車で走った。これが無かったら、在宅介護は上手くいかなかったと思う。今でも重宝しているし、やってよかったと思える取り組みである。ポイントは本の内容を「親父の症状に関係のある所だけ」でまとめたことだ。


 

2017年2月2日(木)

往診日。岩田先生に上の表を見せたうえで、親父を自宅に戻してそこで薬の調整をしたいことを告げる。本の表現を借りるなら「家庭内天秤法」というやつだ。親父はレビー小体型認知症も入っているため薬が効きすぎる。日々の生活を注意深く見て、薬の調整を行わなければならないのだが、月2回の往診では限界がある。そこで親父を自宅に戻し、一番親父の様子を知ることができる身内が自分の判断で薬を調整するのだ。

岩田先生から了解をもらい、2月4日(土)から親父を自宅で介護することに決めた。伯父に連絡を取り、2月6日(月)~2月10日(金)まで母親と一緒に親父の様子を見てくれる承諾を得た。本来は親族であっても頼るべきではないが、最初で最後の一か八かの勝負のつもりであったので、伯父さんに無理なお願いを聞いてもらった。ついに老人ホームから在宅介護へ移行する計画が実行される。


在宅介護へ続く