前立腺肥大で入院

2016年10月11日(火)

親父が前立腺肥大の手術を受けるため入院。手術前と後の1週間(合計2週間)の入院が必要との説明を医師から受ける。ひどくなる前に手術した方がよいとのことだった。

[前立腺肥大]
簡単に言うと、前立腺が肥大して尿道を圧迫し、小便が出にくくなること。

治療方法としては色々ある。大きく分けると、
(a) 薬物 (b) 保存療法(手術しないで治療する) (c) 手術療法
病院の医師は(c)の手術療法を勧めてきた。薬物療法は親父が大動脈弁狭窄症(大動脈弁の開閉が制限されて狭くなる病気。当然血圧は上がる)を患っており、それを理由にいずれの薬物も禁忌との説明を受けた。代表的なものに「α1受容体遮断薬」などあるが、いずれも血圧を下げる副作用があるようだ。無理やり血圧を下げるので、血液を全身に回しにくくなるため禁忌なのだろう。
 このときは医者の言うことに大きな間違いはなく、患者のことを第一に考えて治療方法を提供してくれる・・・と思って医者に任せきりだった。だが、今ではレーザ治療や超音波治療など、保存療法を選択しておけばこれほど長く入院せずに済んだのでは?・・・と思っている。もちろん、この病院ではそういった設備はないので、夜間せん妄がバリバリに出ている状態でも手術療法しか選択肢がなかったのだろうが。
 あんまり夜間せん妄が酷いので、手術を中止する相談にも行ったが、認知症が進行するリスクはあるが薬物は禁忌、手術療法しかありません。今やらないと、管を付けて生活することになります。そうなってから手術すると今より認知症が進んでいる可能性が高いため、リスクは高くなりますよ・・・。と説得された。レーザ治療や超音波治療などの方法があることを調べ、それができる病院に相談に行っていたら、結果は違っていたかもしれない。

(c)の手術療法はさらに
(c-1) 内視鏡を使う方法 (c-2) 下腹をメスで切開する方法
に分けられるが、そこまで大きく前立腺は肥大していなかったので、医師は(c-1)内視鏡を使う方法を選択したようだ。


2016年10月13日(木)

真夜中に病院から携帯電話に連絡が入る。親父の夜間せん妄が激しいので、家族の誰かが泊まって欲しいとのこと。この時は、夜間せん妄って何?程度の知識しかなかった。

2016年10月14日(金)

有給を取って親父の様子を見に行った。朝10時くらいに病院に着いたが、親父は完全に覚醒した状態だったので、今までと変わりなく感じた。ただ、病室に向かうまでにすれ違った看護婦さんたちから変な目で見られていたなぁ。親父の様子を見て安心したので、自分は家に帰ったが、母親は病院に泊まることにした。

母親から夜に電話があり、親父が夜まったく寝ず、病院の窓から逃げ出そうとするわ、病室内で放尿しようとして泌尿器科の医師とつかみ合いになって医師の顔をひっかくわ、看護婦さんに暴力振るうわ・・・で大変なことになっているとの連絡をうける。

2016年10月15日(土)

前日の母親の連絡をうけ、病院に泊まることにした。ある看護婦さんに父親が暴力を振るったことを謝ると、苦笑いして真っ赤になった両腕を見せられた。おやじが強くひっかいた痕であった。平謝りに謝ったが、他の看護婦さんへも少なからず暴力をふるっていたことを聞いたため、病室に来る看護婦さん全員に謝ることにした。ただ、若くて綺麗な看護婦さんには暴力を振るわず、素直に言うことを聞いていたようで、ある意味ホッとしたが「認知できてんじゃん」とも思った。

 

病院に泊まることで親父の状態がわかった。親父は9時ごろ寝付くのだが、3時間後の12時に必ず目覚め、病室から逃げ出そうとする。そして、異変に気付いて病室に駆けつけてきた看護婦さんに暴力をふるう。話しかけても、わけのわからない返事をし、ときには私のこともわかっていないようだった。夜間せん妄に対する知識を何も持っていなかったため、入院したことで物凄く認知症が進んだと思い、絶望を感じた。元の親父に戻って欲しい思いが強く出てしまい、おかしな事を言ったり、おかしな行動をすると、それを正そうとして怒鳴りちらしていたなぁ。

 

手術で麻酔を打ったら何もわからなくなってしまうのでは?と感じ、今のうちに伯父さんと会せておこうと思って電話をした。丁度こちらで趣味の集まりがあったらしく、16(日)に病院へ来てくれることになった。

2016年10月16日(日)

従兄にも連絡をしたら伯父と一緒に見舞いに来てくれた。お昼ぐらいだったので、親父は覚醒しており、たまにおかしな事を言う程度であった。親父は伯父さんと従兄から勇気付けられていたが・・・夜になると、やはりせん妄が出た。ここで、「夜間せん妄」について自分なりの解釈を記しておく。

[夜間せん妄]
認知症の周辺症状の一つ。認知症は「中核症状」と「周辺症状」に分けられる。「中核症状」は記憶障害など、脳細胞が壊れてかどうか知らないが、脳の機能が衰えて出る症状。これに対して「周辺症状」とは、脳の機能が衰えたために、例えば精神的に不安定になって周りに迷惑行為をすることをいう。簡単な例を出すと、ご飯を食べたことを忘れるのが中核症状。それに対して「食べてないから、食べさせろ!」と妻に怒鳴り散らすのが「周辺症状」。基本的に中核症状で周りが困ることは少ないが、周辺症状が出ると家族や介護者は苦労する。大事なことは、周辺症状はその原因を突き止め、それを取り除くことで無くなるということ。


「せん妄」とは、頭が混乱した状態を言う。多くは興奮状態(というか、興奮状態のとき問題化する)になる。親父の場合は、自分がどこに何のために居るのかわからない状態で、夢と現実の区別もついていなかった。良くわからないところ(病院)に閉じ込められ、知らない人(看護婦さん)が周りに居て、何されるか不安になり脱走を試みる。夢の中で小便をしようとするのが病室での放尿行為となり、知らない人(医師や看護婦)から止められるので、暴力をふるってしまう・・・など。
「せん妄」が起こる原因に疾患や薬物によるものと、環境変化によるものがあるみたいだが、親父の場合は完全に後者だった。認知症の中核症状があるため、入院という環境変化についていけなかったのだと思う。

「夜間せん妄」は夜に「せん妄」が出ることを指す。一度深い睡眠を取った(Non-REM睡眠)後に起こるのがポイントだと思っている。よくREM睡眠障害との違いが議論されているが、親父の症状を思い出すと、両方出ていたんじゃないかと思う。幻視があったり、精神状態が興奮状態だった時は「夜間せん妄」が出ていたと思うし、夢との区別がつかなかった場合は「REM睡眠障害」が出ていたと思う。ただ、この病院の精神科医が入院中、「あなたのお父さんは、色々な睡眠薬を試し、量もかなり多く入れてるんですが、寝てくれないんですよね・・・」と文句なのか、さじを投げているのか、良くわからないことを言っていたのを思い出すと無性に腹が立つ。そもそも、REM睡眠障害だったら寝てる状態なので、睡眠薬が効くわけはない。この時は知識が全く無かったので、私も母親も父親が人とは違う、特別な症状を出していると思い込み、医師に「すいません、うちの主人が・・・」と、ここでも平謝りに謝った

2016年10月18日(火)

 前立腺肥大の手術が無事終了した。カテーテルが取れるまで術後入院となる。術後も手術前と変わらず、夜間せん妄はバリバリに出た。せん妄があまりに激しいため、ベッドや車いすに拘束されることもしばしばあった。

2016年10月20日(木)

 手術は無事成功したので、精神科医の診察をうけることにした(私は仕事で、母親が同伴した)。認知症にはいくつか種類があり、親父がどの認知症であるか調べるため、まずはMRIを撮りましょうということになった。ここでMRIとCTスキャンの違いを述べておく。MRIは体内の水分に反応して映る。対してCTスキャンは所詮X線撮影なので、レントゲンと同じように骨など密度の高い所でX線は吸収されて白く映り、密度の低いところはX線が透過して黒く映る。従って、水分の多い脳の撮影にはMRIが適している。さらに、放射能被ばくしないことや、3次元の情報が得られるメリットもあるので、普通に考えるとMRIを選択するに決まっているのだが、認知症患者にとっては高いハードルがある。それは、「狭くて音がうるさい空間に長時間じっとしていなければならない」ことだ。


 MRIに入ると、案の定、親父は不安になって出てきたらしい。それでもMRI技師が強く勧めるので、親父とケンカになった。大騒動の末、MRIは中止となった。精神科医からは、MRIをおこなっていないため、親父の認知症がどれに分類されるかわかりません。とりあえず、認知症で最も多いのは「アルツハイマー型」なので、診断名はそうしときましょう。という話を受けたらしい。ここでも母親は謝ったのだろう。

 脳の萎縮を確認していない状況で「アルツハイマー型」と診断したということは、多分MRIをやって脳の萎縮が確認できなかったとしても治療方法は変わらなかったと思う。この精神科医は全く認知症のことを知らないらしい。認知症の種類についてその特徴などと共に載せておく。この表は後日お世話になる長久手南クリニックの岩田先生の本を読んで、自分なりにまとめたものだ。表を見てもわかるように、認知症はその型によって飲ませる薬が違う。認知症の知識がない医師が治療をすると「アリセプト」を処方するのがオチだろう。
 長久手南クリニックではMRIを使わず、CTスキャンで親父の脳の萎縮状況を調べた。やはり、多くの認知症患者はMRIの長時間撮影に耐えられないらしい。脳の萎縮や石灰化を調べる程度なら、CTスキャンで重要な断面を取れば十分との話だった。合理的な診察方法だと思った。その結果、親父は「ピック病」と「レビー小体型認知症」そして「脳血管性認知症」の3つを併発しているとの診断を受けた。脳の萎縮はほとんど見られず、アルツハイマー型は除外された。これについては「有料老人ホームへ」で詳しく記述する。


脳の萎縮も確認せずに出された「アルツハイマー型」認知症の診断結果は、後日入院することになる精神病院でも引き継がれる。MRIやCTスキャンを取ることなく「アルツハイマー型」と診断されたことを精神病院の医師へ伝えたが、MRIやCTスキャンを撮りなおすことはしなかった。MRIについては設備がなかったのかもしれないが、「どんな型の認知症であっても、治療方法は変わらないので調べる必要はない」と感じた。精神病院では薬を出すのに都合が良いとの理由で「統合失調症」と病名が付けられた(「精神病院へ」で詳しく記述する)。

2016年10月22日(土)

土曜日で休みだったため、親父の車の廃車手続きをする。改めて車を見ると、バンパーだけでなく、フロントドアやサイドミラーもボコボコにぶつけた跡があった。特に、運転席側のフロントドアが開かない状態になっていたのには驚いた。仕方なく助手席から運転席に乗り込み、近く(といっても3km以上離れているが)のガソリンスタンドで廃車手続きをした。車を見たガソリンスタンドのスタッフが驚いた顔をしていたので、必要ないとは思ったが事情を説明した。


今から思えば、人身事故を起こす前に認知症が確認できたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。母親から妹夫婦の家から帰る途中で道がわからなくなったとか、県外に遠出をしているときに現在地を勘違いし、母親が恐怖を感じて警察を呼んだことがあったとか聞かされていた。

2016年10月24日(月)

ケアマネージャーに来てもらい、介護認定の手続きをお願いした。前立腺肥大で入院する前の親父は「非該当(自立)」扱いであったが、介護認定調査の結果、「要介護2」の認定がおりた。


2016年10月28日(金)

退院日。母親一人では不安だったので、私が金曜日~日曜日までの3日間泊まりこみで様子を見ることにした。会社を定時に終え、電車で実家へ向かう途中に母親から「お父さんがビール飲みたがっているから買ってきて」との電話が入った。この3日間で親父が自宅で過ごせるか否かが決まるつもりでいたので、自分の深刻な感情と大きくずれており、母親に腹が立った(ビールは買っていった)。しかし、親父や母親のホッとした気持ちを理解し、受け入れることができていれば・・・と、この時の感情に後悔することが起こる。

精神病院へに続く