精神病院へ


2016年10月28日(金)

両親の家で夕飯を食べることに。親父は早くビールが飲みたいとしきりに催促してきた。食卓の上を片付けていると、ジリリ・・・と玄関で目覚まし時計の音が鳴った。母親が「止め方がわからない」と言うので、時計を玄関から持ってきてもらい、目覚ましが鳴らない設定にした。ビールの件で腹も立っていたこともあり、母親に時計を戻すのをお願いした。母親が食卓から離れ、見えなくなってすぐに「ドシーン」と大きな音がした。母親が廊下で転倒したのだ。

母親の痛がり方が尋常でなかったので病院へ行くことを勧めた。母親はしばらく病院へ行くことを拒否していたが、痛みが引かなかったので救急車を呼んだ。親父は何が起こったのか理解しておらず、救急車を待つ間も母親にビールを飲んで良いかしきりに聞いていた。

救急隊員が家に入ってきて、母親を救急搬送用のベッドに乗せた。親父は救急隊員に「私は仕事をもうリタイアしており名刺はないけれど、あなたの名刺が欲しい」とお願いをしていた。救急隊員が怪訝そうな顔をしていたので、認知症であることを説明した。

この様な状態の親父を一人家に残して病院へ行って良いのか迷ったが、母親一人で行かせるわけにもいかず、自分も救急車に乗り込んだ。何とかギブスだけで戻って来れないだろうか・・・と淡い期待を抱いていると、かみさんから「かわいそうに、お義母さん、相当疲れが貯まっていたんだと思うよ」とメールが入ってきた。そうなのだ。前立腺肥大で親父が入院中、母親は私が交代する以外はずっと病院に泊まっていたのだ。しかも、足が不自由なため布団も借りずに、椅子で寝ていた。疲れは相当貯まるだろう。あの時、時計は自分が戻さなければならなかった

最寄りの病院に着き、レントゲンを撮ると、やはり骨折であった。医師から手術後1~2週間の入院と2か月のリハビリ入院が必要との診察を受けた。親父のこともあり、母親は絶対に手術はしないと主張。以前骨折したときもギブスを付けて帰ったことがある。とりあえず今日は入院して、明日外科医と相談することになった。

深夜を過ぎていたのでタクシーを使って家へ戻ると、親父は以前と変わらない位置に布団を敷き、イビキをかいて寝ていた。食卓には私が買ってきた2人分のビールが空になって置かれていた。親父が寝ていることに安心し、疲れてもいたので、これからの事は考えずに親父の横で寝ることにした。電気を消してしばらくすると、ジョジョジョーと暗闇の中から水が畳の上に落ちる音が聞こえてきた。恐れていた夜間せん妄が自宅でも出て、放尿を始めたのである。

親父は尿を済ませると、再び小便で濡れた布団で寝はじめた。放っておくわけにはいかないので、雑巾で小便をふき取り、新しく布団を用意してやったが、「小便がしたくなったら、必ず言ってくれ!」とまたしても怒鳴ってしまった。電気を消したのが悪かったと思い、電気を点けたままで寝ることにした。だが、自分が寝付くよりも必ず早く尿意をもよおし、自分を起こしに来た。この日は一睡もできずに朝を迎えた。

2016年10月29日(土)

朝食後に親父と散歩へ出かけた。親父が自分で散歩から帰って来れるかを見るために、あえて後ろからついていくことにした。2~3kmほど歩くと、「疲れたから帰る」と言い、自分で家へと戻ってくることができた。
散歩後、親父と2人で母親の見舞いに行った。病院では外科医と母親が話し込んでいた。母親は手術を拒否しており、「ギブスを付けて家に帰る」と頑なに訴えていた。医師は「ギブスで固定すると言っても、大腿骨近位部骨折の場合、完全には固定できないので自然につながることはほとんどありません。今の痛みが和らぐこともありませんが良いですか?」と説得していたが、母親はそれでも構わないのでギブスをすると聞かなかった。医師は仕方なくギブスの取り付けを始めたが、その作業中「イタタタ!先生、やめて!」と「やめますか?」「いいえ、やってください」のやりとりを繰り返した。結局、ギブスを付け終えても指でつつくだけで激痛が走ることがわかり、しばらくして見舞いに来た妹の説得もあって手術をする決心をした。


母親の入院手続きをするためしばらく病院に居たが、時間が経つについてれ親父が不穏になってきた。落ち着かずに病院内をウロウロしはじめ、たまに戻ってきては「おい、ここはどこだ?早く帰るぞ!」と怒鳴りちらすようになった。他の病室へも勝手に入ろうとしたため、それを止めると力ずくで抵抗してきた。昨夜寝れなかったこともあり、対応しきれなくなって「いいから座ってろ!」と親父の胸ぐらをつかんで無理やり椅子に座らせたが、その行為が病院内ではNGだったらしく、大勢の看護師が飛んできて「落ち着いてください!どうしたんですか?」と質問された。「認知症なので・・・」と伝えると「そうですか、でも暴力はいけませんよ」と注意された。親父はその後ナースステーションへと連れて行かれたが、「暴力はいけませんよ」と当たり前のことを注意されたことが少なからずショックであった。「認知症」は暴力をふるった言い訳にならない。

家に親父と戻り、夕ご飯を一緒に食べて寝た。寝るとすぐに、親父が「ゲジゲジ虫が出た!」と騒ぎ出した。前立腺肥大の手術で入院したときのように幻覚を見ていると思い「いないから、安心して」と言って布団の上に目をやると、・・・いた。確かに見たこともないような大きなゲジゲジが親父の布団の上を這っていた。親父は今日買った尿瓶を使って速攻でたたき潰した。あまりのゲジゲジのグロテスクな姿には驚かされたが、その後、おかげさまで2人の間で和やかな親子の会話をすることができた。夜、何度か親父は小便に起きたが、昨夜のように放尿することはなかった。明日は日曜日。そろそろ親父をどうするか決めなければ・・・。

 

2016年10月30日(日)

朝の散歩は昨日と同様に後ろからついていき、自分で帰ってこれることを確認した。昼に母親の入院する病院でケアマネージャーさんと今後の相談をした。親父一人での生活は不可能なため、明日から近くの介護施設でショートステイをすることに決めた。ただ、前立腺肥大で入院していた時の様子から、親父を受け入れてくれるショートステイ先は名古屋市で3件しか見つからなかったそうだ。ショートステイ先で暴れた場合、精神病院へ入院となることも告げられた。精神病院?子供の頃、差別用語に使っていた得体のしれない場所へ親父を入れなければならなくなる?それだけは何とか避けなければ。明日の昼1時に迎えにきてくれることになった。
家に帰り、夜ご飯を食べて寝た。夜間の放尿はなく、家に初めて戻った頃よりも状態が確実に良くなっていた。施設に入れると認知症は急激に進むことを聞いていたので、このまま施設に送って良いか悩んだ。

2016年10月31日(月)

朝の散歩へでかけ、自分で帰ってこれることを確認した。悩みに悩んだが、平日は妹夫婦の家で親父の面倒を看て、金曜日の夜から日曜日の夕方までは自分が親父の面倒を看るプランを試してみることを考えた。妹は専業主婦なので平日も親父を看ることができるし、親父も前立腺肥大で入院する前は妹の家には頻回に遊びに行き、泊まったこともある。自宅の次に慣れている環境といえる。妹夫婦の了承を得たうえでケアマネージャーにショートステイのお断りの電話をした。
昼、親父と2人で母親を見舞った後、電車で妹夫婦の家へ向かった。電車内での親父は非常に落ち着いており、次の駅もきちんと言えた。駅に着くと妹の家族が車で迎えに来てくれており、親父が嬉しそうに車に乗り込んでいく様子を見ると、安心すると共に自分の選択は正しかったのだと少しだけ誇りに思えた。

2016年11月1日(火)

母親の手術が無事に終了した連絡を受ける。1~2週間安静にし、その後リハビリに移る。リハビリに移ると急性期から回復期となるため転院が必要になる。

妹夫婦の家で、やはり親父は放尿してしまう。妹婿が小便を雑巾で拭いてくれたことを聞き、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯になる。初日を乗り切れば、後は落ち着くはずだから・・・と伝える。

2016年11月2日(水)

夜の放尿はなかったと妹から報告を受ける。後日、妹は母親に今回の件について、親父と向き合える機会ができて良かったと語ったそうだ。ほとんど妹とまともな会話などしたことがなかったため、自分の中での妹は幼少期で止まっていたが、随分と成長したものだ。一日中介護するのは大変だろうから、デイサービスに行かせることを勧めた。

2016年11月3日(木)

親父がデイサービスから帰ってきたが、随分と疲れた様子であることを聞く。そしてついに恐れていた事態が起こってしまう。妹夫婦の家で夜間せん妄が発生したのだ。家の中で「火事だ!火事だ!」と叫び、周りに置いてある家具を階段下へと投げ捨てるわ、カーテンはビリビリに破いてしまうわ、それに怒った妹を見て、「社長!」と呼ぶようになってしまうわ・・・。妹婿のことも誰だかわからなくなり、小さな子供に危害が加わる恐れも出てきたため、深夜であったが警察を呼ぶ。警察から近くの精神病院へ連絡してもらい、またしても効かない睡眠薬を処方される。

夕方、妹から連絡を受け、妹夫婦の家へ家族で行く。妹婿から子供のことを考えると限界であることを聞かされる。また、ここ数日小便に頻回に起きるため、ほとんど寝ていないことが明らかになる。いずれにせよ、妹夫婦が無理と判断した時点でこのプランは終わりなので、ケアマネージャーにショートステイをお願いすることにした。しかし、事情を説明すると「落ち着いていない状況では受け入れてくれる施設はありません。手順としては、精神病院へ入院してもらい、そこで落ち着かせてから施設という流れになります」と説明を受ける。「精神病院に行って、当日入院できますか?」と尋ねると「救急車を呼べば、ほぼ間違いなく当日入院となります。」との回答。最悪の事態になってしまったが、他に選択肢がなかった。妻から「お義父さんに入院することを伝えなくて良いの?」と言われ、座りこんでいる親父に意を決して伝えることにした。
私:「親父、今、頭の中がぐちゃぐちゃになってるだろ?」
親父;「うん。頭がぐちゃぐちゃになっとるんだわ。○○(私の名前)、何とか助けてくれんかなぁ?」
私:「わかった。これから病院に連れて行くから、そこで治してもらおう。少しの間入院することになるけど、絶対に迎えにくるから」
・・・妹夫婦に預ける選択を正しいと思い込み、有頂天になった考えの甘さを恥じた。精神病院へ入れなければならない最悪の結果となってしまった事が悔しくて涙が出た。

 救急車を呼び、精神病院へ緊急入院。夜の精神病院は行ったことはないが刑務所よりも不気味に感じた。コンクリの壁で覆われており、窓がない。どの扉もオートロックで施錠されていた。途中で会う入院患者は皆、自分の世界に入り込んでブツブツ何かつぶやいているか、落胆したように下を向き、うつむいていた。
 病院に着くとすぐに2人の医師から診察を受けた。親子で経営しており、父親の院長は威厳に満ちた態度で椅子に座り、息子はその父親を誇らしげに後ろから見ていた。私は認知症になり、自信を完全に失ってしまって挙動不審となっている親父を横に、ここまでに至る経緯を話した。院長からは、

  • 治療方法は基本的に薬物治療で、入院中に親父に合った薬を見つける。
  • 隔離室に入院してもらう。
  • 落ち着くまで面会謝絶。
  • 主治医(院長の息子)と話しがしたいなら、週に1回(水曜日)に外来があるので、その日に来る事。
  • 3か月以上の入院は不可能(90日ルール)

と説明を受けた。「薬が決まれば、夜間せん妄を起こすことなく寝てくれるようになりますか?」と尋ねると、「そんなに上手くいけばいいですが」と苦笑いしたあとに「日常生活に介護が必要になる場合もあります」と言われた。・・・日常生活に介護?現状の親父は夜間せん妄に周りが困っているだけで、日常生活に介護は必要ない。歯もみがけるし、ご飯も自分で食べる。トイレもせん妄状態でなければ自宅でできていた。日常生活に介護が必要となるほど薬漬けにするということか?それでは状態が悪化したことになってしまう・・・。と我々が思ったのを感じたからかわからないが、「夜間せん妄が出たのはここ最近のことなので、しばらく病院で落ち着かせたら元に戻るでしょう」と安心させてくれた。だが、私たちが帰る直前に「この人どうしよう?」と発した院長の口調にぞっとした。直感的に人として扱ってないことを感じたからだ。不安を覚えたがどうしようもない。親父は院長が指定した薬を飲むと診察室の奥へと消えて行った。

帰り際、「入院診療計画書」を渡される。内容は以下の通りで病名が「統合失調症」となっているのがポイントである。後に理由を医師に尋ねると「統合失調症と同じ薬を使うので都合が良い」との説明を受けた。また、検査内容にCT(適宜)のチェックが入っておらず、どのタイプの認知症か検査する意思が無いことがうかがえる。つまり、この精神病院では認知症の種類に関わらず、精神運動興奮状態を抑えるために統合失調症の患者と同じ薬を使うということだ。・・・統合失調症と認知症を一緒にするなよ。

2016年11月5日(土)

親父を仕方なく精神病院へ入院させたことを伯父に告げた。落ち着くまで数日面会謝絶だと伝えると、理解できないと言っていた。また、精神病院からは、親父の血尿が酷いから前立腺肥大の手術を受けた病院で診察を受けるよう頼まれた。11月7日(月)に親父を病院へ連れて行く外出の段どりを付けた。1週間以上の面会謝絶を覚悟していたが、明後日に親父の様子がわかる。少しは快方に向かった様子を見せてくれると良いのだが。

2016年11月6日(日)

珍しく伯母から電話があった。近くの図書館で認知症の本を借りて調べ、インターネットでも検索してみたが、いずれの情報を見ても認知症患者を精神病院へ入院させるのはタブーとされている事を教えてくれた。伯母は認知症患者に必要なのは「治療」ではなく「介護」だと強く主張した。この時は色々と調べてくれるのは有り難いが、いくら我々が調べたとしても精神科医以上の知識は得られるはずもなく無駄な労力だろう・・・と考えていた。この考え方は後に大きく改める必要が出てくる。

2016年11月7日(月)

血尿の検査を受けに外出するため、親父を精神病院へ迎えに行った。妻と伯父も心配して駆けつけてくれた。「おう、来てくれたか!」と元気よく病院から出てきてくれんかな・・・でも朝早いから、せん妄気味でおかしな行動を取るかもわからんな・・・などと想像しながら親父を待った。出てきたのは車椅子に乗せられて、完全に下を向いてうつむく親父であった。しばらくショックで声をかけられなかったが、「親父、元気か?俺の事わかるか?」と狼狽して尋ねると、「ブツブツブツ・・・」と何かわけのわからない言葉を返してきた。まさに精神病院で見た入院患者と同じ状態だ。この時初めて精神病院の治療方法に疑問を感じた。
血尿については何も問題はなく、削った組織が尿から出ているとのことであった。半日検査に費やしたが、親父が覚醒することはないまま、再び精神病院へと送り返すことになった。

2016年11月9日(水)

夕方、仕事中に「身体拘束をします。生活に支障がでる可能性があるので覚悟するように」と精神病院の看護師?から電話が入る。突然言われても了承できない、理由を教えて欲しいと様々な質問を投げかけるが、「主治医の指示なので」を繰り返すのみで取り合おうとしない。それなら主治医の話を聞きたいと伝えると「外来の日に来てください」。外来は1週間後になる。さすがに1週間も身体拘束はしないだろうと思い「身体拘束が解かれたら教えてください」と伝えると「主治医から指示があれば連絡します」と返答された。この時に限らず、精神病院は非常に閉鎖的で秘密主義を感じる。

2016年11月10日(木)

親父が身体拘束されたことを伯父夫婦に知らせると、治療方法としておかしいので直ぐに退院させた方が良いと言われた。世間一般には身体拘束を控える傾向があり、入院して1週間も経たないうちに身体拘束するのは理解できないとのこと。退院させたいのは山々だが、受け皿がないことを伝えると「地域包括支援センター」に相談するように勧めてくれた。

2016年11月11日(金)

早速「地域包括支援センター」に電話をし、精神病院での治療方法に不安があることを伝えると「在宅医療・介護連携支援センター」の方が詳しく相談に乗ってくれるとうい情報を得た。

在宅医療・介護連携支援センターに連絡を取ると、社会福祉士のYさんから精神病院には必ず「精神科ソーシャルワーカ」(俗にいうケースワーカ)が居るので、不安に思っていることを伝えた方がよいとのことであった。ケースワーカとは病院と患者との間に立ち、それぞれの患者に合った問題解決を提案してくれる職業である。まずはケースワーカを信頼して欲しいと言われた。事態が悪化したら他の方法を紹介してくれる約束を得た。ここでYさんと話しができたことが事態を好転させるきっかけとなる。

2016年11月12日(土)

親父の着替えなど入院に必要な生活用品を病院へ持って行く。面会謝絶なので病棟前のインターホンで要件を告げると、しばらくして体格の大きな坊主頭の看護師が出てきた。親父の様子を尋ねると、驚きの事実を聞かされた。

  • 親父はあれから日中もずっとベットに縛られて拘束されている。
  • 食事は拘束状態で食べさせているが、調子がよければ手の拘束を取って自分で食べる。
  • 便は基本的にオムツの中。
  • 主治医は外来のある水曜日のみ病院に来る。したがって、その間の1週間は拘束が解かれることはない。

・・・これはいくら何でもおかしい。健常者でも頭がおかしくなるのではないか。これが治療と呼べるのか。16日の外来は強い気持ちで臨まなければならないと思った。

なお、坊主頭の看護師はよほど親父を酷く扱ったらしく、親父のトラウマとして残る。今でも様々な介護施設で体格の良い坊主頭を見ると怖がり、不穏になる。

2016年11月16日(水)

妻と伯父と共に精神病院の外来を受けに行く。精神病院の外来は一般とは異なり、患者の同席はしない。親族が主治医の話を聞く。これまでの経験上、どうも医者というのは自分のテリトリーへ話を誘導し、質問をすり替えて説明をすることが多いと感じていたのでA4一枚の「質問事項」を作って臨んだ。質問事項と回答は以下の通り。なお、念のため携帯電話の録音機能を使って会話の一部始終を記録しておいた。

[質問事項]

1. (私)明日で入院して2週間経つが、父親の回復は順調か?
  (医)精神病はそれほど早く結果が出るものではない。横這い。
2. (私)父親がどの様な状態で”いつ”退院することを目標に 進めているか?予後予測を教えて欲しい。
  (医)2週間では見通しが立たない。予後予測はできない。
3. (私)身体拘束がされて1週間経つが、どのくらいの期間を予定 しているか?
     身体拘束をされた理由は?目的は?
     一般的な感覚では身体拘束をするのは最後の手段と感 じるが、精神病院ではそうではないのか?
  (医)期間は落ち着くまで。理由は目が離せないから。
     トイレを 認識することができないため隔離室に放尿してしまう。
     尿 で滑って転んだことがあり、骨折のリスクを考慮して身体 拘束を決めた
4. (私)1日中拘束する必要があるのか?日中はせめて拘束を 解いてもらいたい。
  (医)人手が足りない。
5. (私)身体拘束をすると1週間でどの程度筋力が落ちるのか。
      落ち着くまで無期限に拘束するならば、常生活ができなく なる前に拘束は解いてもらいたい。
  (医)人手が足りないため、落ち着くまで解くことはできない。
6. (私)落ち着いた後、リハビリなどでケアをする予定なのか?
  (医)要望があればするが、満足のいく設備がないのでリハビリ 専門の施設へ通ってもらった方が良い。
7. (私)身体拘束された状態で落ち着くものなのか?
  (医)治療の一環である。必ず落ち着く。
8. (私)面会謝絶は落ち着くための治療方法か?
  (医)その通り。身体拘束を早く解くためにも面会は控えた方が良い。
9. (私)隔離室+身体拘束と、一般の正常な人間でも気がおかしくなる環境だと思うが、
     この治療方法で父親の状 態は回復するのか?
  (医)認知症は治らないが、落ち着かせるには良い方法。
10. (私)中核症状が治るのは期待していない。周辺症状の「夜間せん妄」と「不眠症」を治してほしい。
     父親に合った睡眠薬は見つかったか?
  (医)2週間では薬が効いたのか、生活のリズムなのか環境に 慣れたからなのか判断できない。
11. (私)こちらの感覚では、このままだと「薬漬けで精神が鬱状態」「他人とコミュニケーションが取れない」
     「車椅子生活で介 護なしでは日常生活が送れない」状態で退院となる可能 性が最も高い気がするが?
  (医)2週間ではわからない。その可能性もある。
12. (私)モニタ越しにでも父親の様子を確認できないか?隔離室とはどんなところか?
  (あまりに長かったため(1時間以上)院長が様子を見に来て)
  (医)それ程心配なら面会してください。

院長からの許しが出たので、ケースワーカと一緒に親父と面会した。4畳くらいの隔離室一杯にベッドが置かれており、先日に会った坊主頭の看護師が親父の首までシーツをかけていた。「親父、誰かわかるか?」と問いかけると、半分目を開き「わかるに決まっとる。○○(私の名前)だがや」と答えてくれた。まずコミュニケーションを取れたことに心底ホッとした。伯父や妻のこともわかるようだった。皆で顔を見合わせ、安堵の表情を作った。

看護師が直前に隠すようにシーツをかけていたのが気になったので、シーツを剥がすと、そこには拘束の実態があった。手は指のない手袋で覆わており、腰と共にベッドにつながれていた。膝だけは曲げれるようになっていたが、この状態で親父は1週間過ごした事、そして拘束はこれからも続くことを考えると気が重くなった。

トイレは隣接されていたが、親父は認知できていないようだった。「親父、トイレどこかわかる?」と聞くと「はしっこ」と笑いながら答えた。隔離室の端で放尿を繰り返していたようだ。張り紙などでトイレの場所を誘導しても全て剥がしてしまうらしい。

帰り際、妻が「お義父さん、また来るからね」と言うと、物凄く寂しそうな顔でうん、うんとうなずいた。ケースワーカさんは、多くの患者さんを見てきたが、最終的に皆落ち着くので安心するよう言ってきた。確かに今日は落ち着いているように見える。ひょっとしたもうすぐで落ち着くのかも・・・。1か月を限度としよう。1か月間は精神病院の言う事を信じるが、快方に向かわないようであれば別の方法を取る決意をした。

2016年11月17日(木)

伯父から電話があり、精神病院はもう駄目だからやめよう、明日にも出そうと言ってきた。出したとしても面倒を看てくれる施設が無いことを伝えると、「私があなたのお母さんが退院するまで、面倒を看てもよい」と提案してくれた。思いがけない話に正直戸惑った。母親が退院するまで後1か月以上ある。介護の大変さは身をもって知っている。伯父さんに甘えて良いのだろうか・・・?悩みに悩んだが、結局、1か月は精神病院を信じると決めたことを伝えた。

伯父と伯母は精神病院の治療方法について全く信用していない。伯父は知り合いの医者に精神病院の治療について聞いてくれたりもしたが、医者の言うことを信じておけば大きな間違いはないとの回答だったようだ。医者は医者を必ずかばうので、聞いても無駄なのは知った上での行動だったようだが、心配で仕方がなかったのだろう。伯母は身体拘束や面会謝絶が治療のはずがない、常人なら気がおかしくなると強く治療方法を否定していたが、薬で脳の機能を落としている状態では落ち着くのではないか?と自分が精神科医の代わりに納得のいくような説明をしなければならない状況が続いたが・・・。

結局、1か月間拘束が解かれることはなかった。

2016年11月30日(水)

妻と伯父と共に外来に行く。主治医とのやり取りは以下のとおり。
1.(医)精神状態の変化の振れが大きく、中々薬の量が決まらない。
 (私)薬の種類は変えて試しているのか?
 (医)薬の種類は変えていない。量の調整をしている。
 (伯父)パーキンソンの症状が副作用として出る薬も与えているようだが?
 (医)パーキンソンの症状が出ない新薬を与えているので安心してください。
2.(医)症状は入院前とほとんど変わっていない。改善していない。
3.(医)これ以上やることはないので、いつ退院してもらっても結構だが、受け皿は無いだろう。
 (伯父)私が見ることを考えているが。
 (医)潰れてしまうと思います。特養などの受け皿が準備できるまで(病院で)面倒を看ることはできます。

診察後に親父と2週間ぶりに面会した。落ち着いてはいたが、身体拘束と薬の影響で自力で歩くことができず、意思の疎通も全くできない状態になっていた。まさに精神病院での治療で「廃人」にされてしまった。伯父も親父の状態を見て「自分が見るのはもう無理だ」と判断し、ケースワーカさんはこの状態が改善することは残念ながらありません、意思の疎通は2度とできませんと「あわれみの表情」を浮かべて断言する絶望的な状況。精神科医を信じて1か月様子を見る判断が間違っていた。医者に責任は問えない。医者を信じた自分の責任だ。一体どうすれば・・・頭に浮かんだのは在宅医療・介護連携支援センターのYさんと交わした、事態が悪化したら他の方法を紹介してくれる約束であった。

精神病院へ入院させたことで親父は廃人のようにされてしまった。何故このような結果になったのか?原因の一端を知るために、精神病院で処方された薬をまとめておく。

[精神病院で処方された薬]
1. ドネペジル(アリセプト)3mg、朝と夕… 興奮系薬剤、前頭側頭型認知症(ピック病)には禁忌
2. エビリファイ錠6mg、朝と夕…抑制系薬剤、統合失調症の薬
3. 抑肝散7.5g、朝と夕…抑制系薬剤、漢方薬
4. ベンザリン(ニトラゼパム)5mg、就寝前…眠剤

興奮系と抑制系の薬が同時に与えられている。長久手南クリニックの岩田先生はアクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなもので、治療法としては全く不適切と表現されていた。特にドネペジル(アリセプト)はアルツハイマー型の認知症に効果が高いとされる薬だが、ピック病の患者には禁忌で興奮状態となる。脳の萎縮も確認せずにアルツハイマー型認知症と決めつけ、アリセプトを処方し、興奮状態となったので抑制系のエビリファイや抑肝散を処方することにしたのだろう。しかもエビリファイは統合失調症患者へ与える薬だ。対処に困り、1か月間ベッドに縛り付けるとはお粗末にも程がある。

有料老人ホームへに続く